華やかな刺繍を施した黄色の衣装をまとい、舞台奥から並んで進み出て来る項羽役の段小樓(遠藤憲一)と虞姫を演じる程蝶衣(東山紀之)。細かいリズムを刻む美しい音楽とともにとても印象に残るこの京劇のシーンは劇中3度繰り返されます。その時々で二人を取り巻く状況は違っていて、最後に二人が並び立つ場面では涙をこらえることができませんでした。「さらば、わが愛 覇王別姫」
4月10日(木) 7:00pm シアター・ドラマシティ 21列センター
原作: 李碧華 脚本: 岸田理生
演出: 蜷川幸雄 音楽: 宮川彬良
出演: 東山紀之 遠藤憲一 木村佳乃 西岡徳馬 中村友也 沢竜二 ほか
物語の舞台は、1920年代から60年代にかけて、大きく揺れ動いた時代の中国。
「母に指を1本切り落とされ、そして売られた」という心にも身体にも深い傷を持つ程蝶衣(東山紀之)を幼い頃からずっとかばって同じ京劇俳優養成所で共に育った段小樓(遠藤憲一)。二人はやがて京劇のスターとなり、小樓を兄と慕い続ける蝶衣はいつしかそれ以上の感情を持つようになっていましたが、小樓は娼婦だった菊仙(木村佳乃)と結婚してしまいます。ひとり残された蝶衣はアヘンに溺れ、袁世卿(西岡徳馬)との関係を深めていきます。そして時代は容赦なく二人の運命に襲いかかります。
風に揺れる紗の幕が翻る中、舞台奥から駆け出して現れる子供とそれを追いかける母親のスローモーションで始まり、最後にもう一度この同じシーンのリフレインで幕を閉じます。まるで、今観たことはすべて幻、最初のこの場面から何も変わっていませんよ、と言っているかのよう。蜷川さんが「最終的には『夢だったんだろうか・・・』と幻の演劇を見たような、そんな感覚の舞台に仕上がるといいな。幻想を見たかのようにね。」とパンフレットの中で語られていましたが、まさにそんな感じ。
レスリー・チャン主演の名高い映画を観ていないのですが、3時間超という映画を2時間のナマの舞台に置き換え、しかも音楽劇という形をとることで、中国の現実の歴史を背景にした物語であるにもかかわらず、生々しさは少なく、どこかソフトで美しくしかも淡白な印象を受けました。
クライマックスの、小樓が民衆の糾弾に屈して蝶衣や菊仙を裏切ってしまう場面も、群集の狂気というか、小樓が追い詰められる過程が短くあっさりしているので、小樓の言動がとても唐突で思慮のないもののように見えてしまいます。ここは、その後の菊仙の死、ひいては蝶衣の死に繋がるところなので、もう少したたみかけるような表現が欲しいところでした。
とはいうものの、全編を覆う、時代に翻弄された登場人物たちの哀しみや悲劇性は十分伝わってきました。
東山紀之の程蝶衣は姿形はもとより美しく、表情少なにいつも悲しみを湛えた目で小樓を見つめる姿が切ない。小四(中村友也)に、「人の前に立つ人間は見えない所で努力を積まないといけないのよ」と諭す場面なんて、ストイックに体を鍛えていると聞くヒガシのイメージと重なったりもして。
遠藤憲一は、冒頭の歌唱にまず驚きましたが、演技はともかく、激昂した時のセリフなどここで声を張らないと、という時に声が出ていない印象を受けました。この人いつもこうだったかな。この日がたまたま調子悪かったのでしょうか。
木村佳乃の菊仙は凛としていて芯の強い感じがよく出ていましたが、娼婦というには少し品が良過ぎる感じ。それでも、子どもが産めない体になった菊仙が、アヘン中毒の禁断症状に苦しんで母を求める蝶衣を抱きしめて子守唄を歌い、「あなたのためにこの唄を歌うとは思わなかったわ」とつぶやくシーンは、それまで反目していた菊仙の蝶衣に対する複雑な感情が表れていてとてもよかったです。
そして、西岡徳馬の袁世卿がとてもカッコよかった。ヒガシをベッドに連れていく相手として、蜷川さんに請われての登板ということですが、さもありなん。革命勢力に捕らえられ、助けようとする蝶衣たちを目で制して、「私の死は京劇の死だ」と死んでいく世卿。悲惨ながら潔く、大人の男の度量を見せてくれました。
最後のシーンに重なって聞こえてくるのはオリンピックの入場行進のアナウンスらしきもの。オリンピックイヤーの今年、中国は私たちにどんな姿を見せようとしているのか、蜷川さんらしいプロットでした。
蝶衣が日本軍軍人の前で歌ったのは「牡丹亭」のごくらく地獄度









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繰り返される京劇の場面、私も最後はグっときました。
全く同じ台詞、芝居なのに、曲が耳に馴染んでくるのに加えて二人の経てきた紆余曲折が思い起こされるからでしょうか。
あの母と子の幻想的な場面も凄かったですね。メビウスの輪みたいにグルっと巡って永遠に続く、幻想的でエターナルな感じがして、舞台って魔法だなと思いました。
映画版は,レスリー・チャンの迫真の演技に,ホンマに京劇出身のアイドル歌手さんからトップスターになられたと勘違いしたほどでした。東山さんの潔さは無く,女々しくくずおれそうで痛々しかったです。
決定的な違いは,時の流れの不可逆な過酷さを強調するか融和するかと思いました。
この暗黒の時代に死に絶えた女形さんの伝統に思いを馳せ,復活の一助となる活動をなさっておられる玉三郎丈は,やはり,古今東西時空を超えた芸術家なんですねぇ。
2階席だったのですが、客席を何度も使う劇だったので
これも良かったかなぁ〜なんて思いました。
エンケンさん、私が観た時には既に声つぶれちゃってたみたいで、
体調管理はちゃんとしてくれ、とか思ったりしちゃって。
淡白な演技で蝶衣の哀しさ切なさを終始出してた東山君は、
想像以上に上手くてちょっとびっくりしちゃいました。
・・・・そうだったんですかっ!
なんか聞こえる!聞こえる・・って思ってたんですが
流れる涙に記憶も消えてた・・。
蜷川さんのパターンといえばパターンなんですが、
これ大好きです。特に『弱法師』のラスト。
映画も観なくっちゃですねっ!
本当にとても美しい舞台でしたね。
京劇シーンの華やかさと、
舞台裏の暗く生生しい光と、
白い幕の向こうの幻想的な光景の対比が、
繰り返されるシーンと共にとても印象的でした。
私は初日に見てしまったので、
その後この舞台がどんな風に進化したのか、
レポを嬉しく読ませていただきましたv
しばらくあのメロディと二人の姿が頭から離れませんでした。
あの母子のシーンも、最後にまたあれを持ってくるかぁ、と
またしても蜷川さんにヤラレタという感じ(笑)。
「身毒丸」もそうでしたが、舞台の魅力って計り知れないですね。
今度ぜひレスリー・チャンの映画を観てみたいと思います。
彼がすでにこの世にいないことを思えば、渾身の演技だったのでしょうか。
ヒガシは玉三郎さんの映像なども見て勉強したと言ってましたね。
玉三郎さんには劇中劇の虞姫がお似合いのように思えますが、
蝶衣も観てみたいです。その場合、小樓や袁世卿のキャスティングは
かなり難航しそうですが(笑)。
あの母子のシーンは、セリフのないスローモーションの動きも独特で、
とても印象に残りますね。
ヒガシの歌声はこれまでちゃんと聴いたことがないことに気づいて(笑)、
あれ、こんな声だったんだぁ、と思いましたが、役になり切った熱演でした。
エンケンさんはほんとにどうしちゃったんでしょ。
歌のお稽古しすぎたとか・・・にしてはあの歌だし(爆)。
だと思います。なんか国名とか聞こえてましたもん。
「オレステス」のラストで国旗が天井から降って来たのを思い出しました。
さらりとしているようで蜷川さんらしさが随所に出ている演出でしたね。
映画はできれば映画館の大スクリーンで観たいところですが、やらないですよね〜。
こんばんは。
文革の頃の中国って、目をそむけたくなるようなことがきっといっぱい
あったと思うのですが、この舞台ではそのあたりも紗幕にふわりと包んで、
“この世のことは幻想”と言っているかのようでした。
この舞台を観て、京劇もぜひ一度観てみたくなりました。
もちろん未見の映画の方も見なくちゃ、です。
ようやくこちらにTBさせていただく余裕ができました。ル・シネマで観る予定だった映画版は残念ながら見送っていますが、友人からDVDを借りたので家の小さい画面で観ようと思っています。
>最後のシーンに重なって聞こえてくるのはオリンピックの入場行進のアナウンスらしきもの......その辺の記憶があまりないので、ご指摘いただいて納得しました。何故いまこの作品を上演するのかということで推測だけはしていましたが、蜷川さんはハッキリと提示していたんですねぇ。
次の蜷川さんは5月のシアターコクーンを観る予定です。「ガラスの仮面」も予約入れておかなくてはと、巨匠の追っかけは忙しいですよね!!
少しは落ち着かれましたか。
どうぞお気落としのありませんように。
あの最後のアナウンスは、「オレステス」の国旗の時にも
思いましたが、蜷川さん、そう来たか、というカンジです。
やっぱりただでは終わらないですね(笑)。
5月のコクーンは、「わが魂は輝く水なり」ですか。
いいなぁ。観たいなぁと思ってはいたのですが。
ぴかちゅうさんのレポを楽しみにしています(涙)。
ほんとに、蜷川さんの精力的な活動には舌を巻きますね。
あのパワーと情熱を少しでも見習いたいです。